初代勘右衛門が創業し、二代目五左衛門が製造法を確立して、販路の拡大を図る中で、善光寺堂庭で仮店を設けて販売を手がけ、善光寺という、全国的な信頼を集める巨大な力の下で商売をする効率の良さを悟りました。
善光寺からの信頼を得るまでにはさまざまな苦労があったと想像されますが、堂庭の中で一番よい場所御高札前に店を張る「特権」を許されたのは、三代目儀左衛門の時代からだったと言われています。
江戸末期から明治初期の善光寺界隈の様子を知る上で貴重な資料となる、長尾無墨編輯『善光寺繁盛記』(明治十一年〈1878年〉出版)に、八幡屋礒五郎の古い売りすがたが描写されています。
「枝垂れ柳の下に高札が立っていた。その下に大きな傘を開き、台を士つらえて、一人の老人が七色唐辛子を売っていた。その袋の表には『善光寺御高札前八幡屋礒五郎』の十三文字が記されている。台の上には、大きな袋や小さな袋が左右に積まれていた。箱も置かれていて、味ごとに七つに区分されている。そして、客の好みに応じて、小サジで、七つの味を調合して売っていた。」